人生に迷ったら知覧に行けと言われて本当にいってみた結果…

この本、ご存じですか?

人生に迷ったら知覧に行け!

知覧とは南九州にあるお茶栽培が盛んな田舎町。

かつては太平洋戦争で亡くなっていた特攻隊の基地があったことで有名です。
この本で言う知覧に行けとは、その特攻隊についての情報を詳しく展示してある「知覧特攻平和記念館」に行けという意味だと思われます。

「知覧か…」

その時の私は知覧行きを真剣に検討していました。

理由は言うまでもありません。

これでもかっていうくらいに、人生に迷っていたからです。

- 子供も大きくなり、子供に遊んでと言われる事も無くなった。
- 妻との会話はほとんどなく、2人きりになると落ち着かない。
- 実家の親の介護がちらつくが、気づかないふりをしている自分にイライラ
- 同じ空間にいるのに、家族全員がスマホの画面を見ている事も増えた。
- すでに会社の仕事にやり甲斐を感じなくなり、責任感だけで業務をこなす毎日。

40代後半~50代にかけて、同じような悩みをお持ちの方も多いんじゃないでしょうか?

『この先、生きていても楽しいことなんてあるんかな~』

そんな事を漠然と感じる日が続いていましたね。

イヤ、まじ終わってた。

今思えば軽い鬱状態だった気がします。

あなたは、どうですか?

人生楽しんでますか?

もし、目をキラキラさせてYESと言えるなら、素敵です!

この先を読む必要なんて1ミリもないので、したい事を今すぐにやって下さい。

でも、少しでも共感してしまったのなら、早めに手を打つ方がいいかもれしれません。

まずは、この続きを読むことが、一つ目の打ち手です。

なぜなら、この私こそが、実際に知覧に行き

そして、その結果、慢性痛のような消えない悩みがどうでもよくなり、あきらかにこの先の人生を楽しめるように変わったからです。

人生を飛行機の飛ぶ角度に例えるなら、知覧訪問前は、滑走路をただ走っているだけだったのが、知覧訪問後は、角度がついて離陸した状態。

飛び立った後は、どこにでもいける。行き先は自由。自分が望むところに飛んでいける。今はそんなめちゃくちゃ前向きな気持ちに変わることができました。

感じ方は人それぞれなので、知覧に行けばみんなが変わるとは言い切れませんけど、行ってみる価値は十分にあると思います。

なぜ、私がそこまで劇的に変われたのか?

それを今から詳しくお伝えしていきますね。

あなたのこれからの人生に何か良いか化学反応が起きてくれると期待して…

## そもそもただ本を読んだだけで、クソ遠い知覧まで行こうとは思わない。

冒頭、人生に迷ったら知覧に行けという本に刺激を受けて、知覧行きを決めたと書きましたが、あれは半分嘘なんです。

実は本を読む前から知覧に行きたいという興味はありました。
それは、特攻の事をもっと詳しく知りたいと言う単純な興味からです。

永遠のゼロという映画をご存知ですか?

原作は百田尚樹さんが書いたベストセラー小説です。

自分たちのお祖父さんが実は太平洋戦争で敵の戦艦目掛けて飛行機もろとも突撃して散っていた特攻兵だと知った姉弟が、その謎に包まれた生涯を調べていく中で、大きく成長していくというストーリー。

戦争物は見ると暗い気持ちになるので避けて来たのですが、凄い良いと評判だったので、それなら見てみようと映画館に足を運んだのがきっかけです。

映画は一言でいうと最高でした。
いい年こいて人前で泣きたくないので、映画館では、涙を堪えるのが大変でした。

私は映画のブルーレイを1枚しか持っていませんが、その1枚が「永遠のゼロ」です。

それから当時の時代背景や特攻のことに興味を持ち、いろいろ調べていくうちに、冒頭でもお伝えした「知覧特攻平和記念館」という特攻兵たちの遺書を多く展示したパビリオンがあることも知りました。

日本のために命を懸けてくれた若者たちの最後の言葉を、死ぬまでに絶対に見に行かなくては!

熱いものがこみあげてきて、あの頃はそう強く思っていたんです。

でも…
ダメなんです。

忙しい毎日を過ごすうちに、次第に熱も冷めていって、「いつか、いつかはきっと・・・」

と、気づけば何年も経ってしまってたというオチです。

学生の頃は、夏休みの宿題を7月中に終わらせて、8月は遊びまくってやると何回も宣言したものの、一度も達成できずに大人になったしまったタイプなので、まあ今に始まったことじゃありません。

その間に、冒頭でお伝えしたようなメンタルぼろぼろの状態にまで落ちていき、いよいよヤバイというタイミングで読んだのが、「人生に悩んだら知覧に行け」だったというわけなんです。

「知覧に行くならこのタイミングしかない。」

行くと決めたら計画です。
私は兵庫県に住んでますので、知覧のある鹿児島県知覧市までは、結構な距離なんです。

さすがに日帰りの距離じゃないし、始めは一泊しようかと思ったのですが、
「いやいや、これは観光ではないよな?」
「うまいもの食べて温泉で疲れを癒すためにいくんじゃないやろ?」

自問自答した結果、

これは自分の人生を変えるためにいくんだから、娯楽一切なしで、あえて日帰りにすることにしました。

## 日帰りスケジュールはこんな感じ

- 朝4時に起床
- 自宅~神戸空港まで自家用車で移動
- AM7:00  鹿児島行フライトAM7:00  鹿児島空港着
- AM9:00 鹿児島空港着
- 空港~レンタカーを借りて知覧特攻祈念館へ
- AM11:30  知覧特攻平和記念館着
-
-
-
-
-

なかなかの厳しめスケジュールでしょ?

私は住宅現場の現場監督を20年以上やってきたので、工程を組むのは得意だし、守らせるのも得意です。

ただ、このスキルを自分の行動力を高めるために使ったことがなかった!

笑っちゃうような話だけど、自分のことになると甘えが出ちゃうんですよね。

この時は、俯瞰して客観的な目で現場監督として、知覧に行って人生を変えたいという一人の男の行動を管理して行くという立ち位置で臨みました。

この考え方に気づいたのも、私の中では大きな発見です。自分の怠け癖が出て工程を遅らせそうになると、現場監督の自分が現れて、その行動を律すると言う自動修復機能みたいな装置を身につけた感じになったんです。

自分を客観的にみるというのは、よく言われるテクニックですけど、実際にやってみるのは難しいと思うんです。でも、この部分のコツを掴むことができたのですが、それを話し始めると、今回の記事でお伝えしたいことから、かなり遠ざかってしまうので、それはまた別の記事でお伝えしたいと思います。

この記事を書いた目的は、あくまでも50代ぐらいになって、人生に楽しさを見失ってしまった方に、元気になってもらいたい事です。

知覧特攻平和記念会館に着くと、、そこは特攻隊員達の遺書で大量に展示されていました。

本を読んで、事前に知ってはいましたが、実際に見るのは全然違います。
圧倒的な迫力で迫ってきます。

その一つ一つに目を通して読んでいきます。

ほぼ全ての遺書を書いた特攻隊員達の顔写真も展示してあるので、写真の顔を拝見しながら、読ませて頂きました。

特攻する日が決まってから書かれた遺書なので、数日後には死ぬことが確定している中での作業です。

本の中にも書かれていましたが、自分を奮い立たせる意味でも日本軍や天皇陛下のために敵艦を沈めてやるといった勇ましい内容が多いのかと思いきや、ほとんどは残された両親や兄弟達の幸せを願うものばかりでした。

国の検閲があって、軍の士気を落とすような内容は書けなかったとは聞いていますが、それでも間近にし死が確定した状態で、こうも他の人のことを思いやれるものでしょうか?

この時代の日本はこんな若い子達になんと過酷な運命を背負わせていたのでしょう。

胸が締め付けられる思いです。

それと同時に自分の親のこと、妻のこと、子供達のことも浮かびました。

なんて、自分は小さなことで悩んでいるんだろう。

なんて、器が小さいのだろう。

なんて、他の人のことを思いやる余裕がないんだろう。

そして、自分だっていつ死ぬか分からないのに、ウジウジ悩んで無駄な時間を潰やしているんだろう。

自分の心の奥底に火がついたのを感じました。

これこそが、知覧に行けと言ってくれた意味なんだと理解しました。

全ての遺書に目を通した後は、特攻員達が特攻する前日に泊まるという、三角校舎の再現場を見学。

 

 

人生最後の夜が、天井の低いこんなジメジメしたところだったのかと思うと、かわいそうで泣けてきます。↓

 

そして、次の目的地である富屋食堂に向かいました。

富屋食堂は、当時、特攻隊員達が通っていた軍指定の食堂です。
店主は、鳥濱とめさんという女性の方でした。

この方がまた素晴らしい女性なんです。

知覧のことを調べると、必ずこの女性のことが出てきます。

死ぬことが決まっている特攻員たちを自分の子供のように愛し、特攻員たちのために、自分たちの生活を犠牲にしてでも美味しい食事を用意したり、日本軍の検閲にかからないように、命をかけて特攻員達の手紙を家族に届けたりされたそうです。

また、特攻員達は、戦時中の英雄扱いから一転して戦後は狂信者の扱いを受け、日本国民から忌み嫌われる存在へと変わってしまったのですが、それでも特攻員達の名誉を回復するために、人生をかけて尽力された方です。

その富屋食堂が、ほぼ当時の状態のまま現存していると聞けば、そりゃ行くしかないでしょ。

現在は食堂ではなく展示場になっています。
中には特攻隊員たちが残していった手紙が多数展示されていました。

知覧特攻平和記念会館とは違い、軍の検閲がかかっていない分、特攻員達のより素に近い心情が書き連ねてあります。

まだ、20歳そこそこの若者の人生を軍の命令で終わらせてしまう。
彼らにも将来したいことがきっとあったはず。

なんと酷い時代だったんでしょうか。込み上げてくるものがありました。

その点、自分は何だ?
その気になれば、今からだって何だってできるだろうよ。

自分が、どれだけ恵まれた状況に囲まれていることをもっと自覚すべきだと、強烈に思い知らされます。

鳥濱とめさんの事を詳しく描いた映画が、

「俺は、君のためにこそ死ににいく」

モデルにした漫画が、

「ちらん」

どちらも、当時の辛い状況が浮かんできて、こころが痛くなりますが、同時に、自分はめちゃめちゃ恵まれた状況にいながら何をチンタラ生きてるんだと、戒めてくれる作品です。

「ちらん」の方はkindleで全冊購入して、やる気が出ない時に何度も読み返しています。

そのたびに、知覧で感じた気持ちが蘇り、再び力がわいてくるんです。

富屋食堂の後は、万世特攻平和記念館へ。
知覧特攻平和記念会館ほど有名ではないですが、ゼロ戦が非常によい状態で展示されています。

実際にゼロ戦をみて驚くのがその小ささと装甲の薄さ。
こんなちゃちい飛行機で戦争していたかと思うと、驚きを隠せません。

 

 

そして、こちらにも特攻隊の遺書が多数展示されています。
すべてに目を通し、静かな決意と共に、帰りの空港へと向かいました。

1時間のフライトと2時間のドライブ。
家に着いたときは、23時。

今回の日帰り知覧計画は、家族にはいっさい秘密です。
普通に出勤して長めに残業して帰ってきたとしか思われていません。

でも、私の中では、大きな変化がありました。

自分は恵まれている。
自分は可能性しかない。

自分はもっとできる。
自分は生かされてる。
自分は人に尽くすべき。

人生がほぼ終わってしまったかのように生きている私と同世代に人たちを勇気づけたい。
それが、残りの人生のミッションだと思えるようになったんです。

もし、この記事を読んであなたが、自分を変えたいと思ったのなら、
ぜひ、知覧に行ってみて下さい。

きっと何か得るものがあると思います。

おすすめの記事